はじっこに書きつけることば

ノートの端にする落書きのような奔放さ、乱暴さで書いていきます。

映画という都市にてー楊德昌「恐怖分子」

 映画、かくあるべし。―—無論そのような言葉は意味をなさない。かくあるべし、という映画を二本も観れば、僕などはきっと退屈してしまうことは疑いようがないのだから。それでも、そう呟かざるを得ない理由が、この大傑作にはたしかにあるのだ。

 ひとつ。この映画が、第一級の劇映画でありながら、また鋭い映画論でもあること。映画製作と、映画批評の間にいかなる断絶もみいだ「さ/せ」なかったゴダールよりも、ことによれば一層スマートに、この映画はひとつの映画論である。

 パンフレットで四方田犬彦がいうとおり、この映画において「大都市」は「孤独で、迷路のような様相を呈している」。しかしそもそも、それこそが、映画ではなかったか。すくなくともここまでの百年あまりの生涯にわたって、映画は決して田舎者ではありえなかった。例え、都会の消費社会に対抗して、農民の生活の素朴さを強調してみせていたって、映画それ自体はいつも、孤独で、迷路のような様相を呈した大都市そのものだった。どういうことか。

 四方田の文章は、さらにこう続く。《すべての人間は名前も人格も奪われ、偶然のままにさまよっていく。さながら紙や藁で作られた人形のように。》カメラが被写体を捉え、フィルムにその像が焼き付けられるとき、古い言い伝えが言う通り、被写体は魂を抜かれる。カメラは、生きている時間を身に纏い、多方面に向かって拡散していた生を、ただひとつの像として直線的時間軸の中に固定してしまう。カメラにうつされたら、人はもう死ぬことは出来ない、とは嫌になるほど繰り返されてきたモノ言いであるが、しかし、カメラに写されたそのポイントにあってすでに、被写体はその生を永遠に剥奪されているというのが本当であるはずだ。あまりいい言い方ではないけれど、カメラに写された時点で、その被写体の実存は失われてしまうのだ。そうして集められた実存なき紙人形が、好き勝手に積み重ねられ、ハウルの動く城をも思わせる雑多な運動体となってそのとき、映画はこの世に生を受ける。

 大都市もそういう意味では映画に似ている、と新宿の裏側を歩いているとき、僕などは思う。本質的に自由な空間に、ボックスとしての小部屋が積み上げられて、そこで名前のない人間たちが個別の生を営んでいる。それは、巨大な一つの集合ではない。あらゆるところで、縺れ、解れ、破れがおきていて、ひとは隣人に気づかれずに死ぬことができるし、ふとした隙間に入り込むだけで、すべての人の視線から逃れて透明になることもできる。都市の構造は、自然環境と区別不能に複雑である。フィクションが蔓延って、森のような複雑さをうみだしている。

 生きるということが、大地に根をはっていることだとしたら、そもそも都市のひとびとは、一度は死んでいるのである。そのことは、歴史学者たちが明らかにした。後ろめたいところのある人が、大地と実存のずぶずぶの関係の世界を蹴り跳ね、やってきたのが、都市だった。そこでは誰もが、また何もが、神さまへの贈り物であるという点で平等に孤独だった。しがらみもなにも全て切り捨てて、自由に生きることが可能だった。そうして商品がうまれ、神の庭は市の庭となり、都市は育ち、やがて人の流れの結節点のようにこの惑星の上に散らばった。

 都市に生きる私たちがみな本当はそうであったように、フィルムに焼き付けられてきた全てのショットもまた、本当は神さまへのささやかな贈り物なのではないだろうか。そして、もはや自由である私たち=ショットは、自由ゆえに、全くの偶然に、出会い、離れていく。そこに、物語が読めるかもしれない。読めるなら、読めばいい。しかし、そこにあるのは、本当は物語ではない。常に自己生成を止めない巨大な迷路的構造体、大地を蹴り出し壮大なアクロバットを試みる、複雑な生命のようななにかだ。

 エドワード・ヤンは、都市の構造によって、映画の自由を語る。あるいは、映画の構造によって、都市の自由を語る。どちらだっていい、結局は同じことだ。取り返しのないほど美しいものたちが、くっついたり、はなれたり。もし、「映画分子」が人に涙を流させるとしたら、その涙が何のために流されているのかは、もうすでにわかりきっていることだ。