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はじっこに書きつけることば

ノートの端にする落書きのような奔放さ、乱暴さで書いていきます。

鳥である私を気にしない大きな木

Nick Cave & The Bad SeedsのWe no who U Rという曲は、こうはじまる。
 
"The tree don't care what the little bird sings."

この感覚は、俺たちが生きるにあたって不可避なものじゃないか、とふと思う。
俺たちは、自分よりも大きな存在、自分が寄生しているところの存在から、いつも、徹底的にないがしろにされている。

重たい歴史が、他でもあったはずの俺の生を、この生に閉じ込める。
あの海を渡らなければ、あの支配を認めていれば、あの戦争に敗れなければ、俺は、俺の生に閉じ込められることはなかったはずなのに。

軽い偶然にしても、同じだ。
あの瞳が、あの男をとらえなければ、あの夜に雨がふらなければ、あの場所に何の障害物も置かれていなかったなら、俺は、俺の生に閉じ込められることはなかったはずなのに。

また、歴史や偶然は、異なる仕方でも俺たちを滅入らせる。すなわち、反復というかたちで。

俺の生は、俺の前に生きた人間の生と、たいして変わらない。ここで、ふたつ、あるいはそれ以上の生のあいだの違いに着目したところでしかたない。驚くべきなのは、ここまで自由であるはずの俺たちが、みんながみんな、大きく見たら似たような生を送らざるをえないというその事実である。

率直に言って、我々の自由は、日々、侮辱されている。あなたの生はあなた以外の生と、たいして変わりはしない。俺の生は、俺以外の生と、たいして変わりはしない。あなたが自分はどんなに自由で、オリジナルなのだと考えていたとしても。俺が、自分はどんなに自由で、オリジナルなのだと考えていたとしても。

あなたに何の価値があるというのか。なにも、オリジナルではないのに。存在は、耐えられないほどに、軽いのである。

そして一層、俺を絶望的な気分にするのは、しかし、そのような歴史、偶然ぬきには、俺自体が生きられないということなのだ。

俺は、歴史・偶然に寄生している。そして、歴史・偶然は俺のことを知らない。

繰り返すが、これは俺の生に対する侮辱である。決して乗り越えることのできそうにない、徹底した、侮辱である。生の意味を無みにする侮辱である。

しかし、歌詞自体はこう終わるのだ。

The tree will burn with blackened hand.
no where to rest, no where to land

一体いつ、そのときはやってくるのか。
この腹立たしいほどに絶望的な巨木が焼き倒れ、もはやよすがなき俺たちの本当の自由が訪れる日は。
俺が、俺だけのやり方で、俺の生を拡散できる日は。
俺が、もはや、俺としての同一性を持つことすらしなくてすむような日は。

いや、そんな日はこない。
だから、ニック・ケイヴはこう繰り返す。

We know who you are. We know where you live.
And we know there's no need to forget.

俺たちは、結局のところ、絶望しつづけるしかないのだとおもう。
俺が羽を休めるこの木、俺はその木をこの肌に感じているのに、それなのに、驚異的なまでに無力である。

しかし、ニックが語る通り、許す必要などないのだ。俺たちは、そこになにも負ってはいないのだから、歴史・偶然の前に膝をつく必要はない。
不条理な侮辱に怒れる反逆児でいなくてはいけない。無力であっても、憤怒に騒ぎつづける、手のつけられない酔っ払いのような人生で、いい。

俺は、俺がとまるこの大きな木を、決して許しはしない。